2017.9.1 : 新聞掲載:記者の目 . 日野原重明さんの人生
聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんが105歳で亡くなって、1カ月半。今でも多くの人がその言葉を、ツイッターなどで「拡散」し続けている。100歳で始めたフェイスブックのフォロワーも、依然3万人を超えている。取材を通じ、アイドル並みの人気ぶりを目の当たりにしてきた私も、その影響力に改めて驚かされる。たくさんのメッセージを残した日野原さんが、私たちに伝えたかったことは何だったのか。取材ノートを再度、めくってみた。
7月29日の葬儀。聴診器を首から下げ、柔らかくほほ笑む日野原さん。その遺影を前に、長男の明夫さん(71)は「父は私たち家族に『ありがとう』の言葉を残しました」と明かした。主治医を務めた同病院長の福井次矢さん(66)は「食べ物をうまくのみ込めなくなった先生に、管を介した栄養補給を希望されるかどうかを尋ねたら、明確に『望まない』と意思表示されました」と振り返った。それは、日野原さんが常々「こうありたい」と語っていた自身の終末そのものだった。
教え子でもあった福井さんは「日野原先生は真実、『実践』の人でした」と評する。民間初の人間ドックを開設するなど、医師として予防医学の研究と啓蒙(けいもう)活動に努めると同時に、自身も1日の栄養摂取量を守り続けた。一方で「その日その日を精いっぱい生きること」を心がけ、指揮者、作詞家、俳人、脚本家と多くの夢も実現した。「知識を持つところ、夢を抱くところまでは多くの人ができる。知識と実践を結びつけ、自分のものにし実証してみせたところが、スーパースターなんです」
なるほどその通りだと思った。3年前に大動脈弁狭窄(きょうさく)症が見つかり、自力での長距離歩行はままならなくなった。私が密着取材を始めたのは亡くなる1年ほど前。すでに車椅子生活だった。悲しげなふうはなかった。持病の話になったときに日野原さんは言った。「私の心臓はね、この部屋のドアが3分の1くらいしか開かないのと一緒なの」。でも--と得意げな表情で続けた。「これにさえ乗っていれば、まだまだ使える」と、愛用の車椅子を指さした。「人間は『動きながら疾病が癒やされる動物』である」という持論そのものだった。
こんな苦い記憶を聞いた。医師になったばかりのことだという。1937年、結核性腹膜炎で入院してきた16歳の女性の担当になった。死を覚悟して「お母さんによろしく伝えてください」と言う女性に日野原さんはカンフル剤を打ち、「頑張れ」と言い続けた。少女は死んだ。「なぜ『お母さんによく伝えておくから安心するように』と言葉をかけ、手を握ってあげなかったのか」。延命ではなく、緩和ケアこそが必要ではなかったのかという悔いである。
車椅子を使うようになってからも日野原さんは、緩和ケア病棟で患者の手を握り続けた。死を前にした人に必要なのは、文字通りの「手当て」だと医師1年生の時に学び、それを80年間、貫き続けた。「調子が悪い日も白衣を着るとシャキッとなり、必ず緩和病棟へ向かった」と病院職員らは口をそろえる。
自らに課した「実践」を前に、スイッチが入る瞬間を私も間近で見た。昨年9月16日。講演先の名古屋に同行し、新幹線を降りる日野原さんの後に続いた。つえを頼りに席から立ち上がった日野原さんの首はがくっと100度近く曲がり落ち、背後からは頭がまったく見えなかった。スタッフに支えられながらホームに降り立ったが、今にも倒れそうに見えた。1時間半後。ステージには別人の日野原さんがいた。自身が巻き込まれたよど号ハイジャック事件(70年)、負傷者の救命活動に当たった地下鉄サリン事件(95年)を踏まえ、「与えられた命をどう生き、どう使うか」を会場に問いかける。手を振り上げての熱弁に、満席の800人から拍手と歓声が湧いた。魔法でも使ったかのような力強さだった。
「100歳ごろまでは20歳下の人より若く見えた」(福井さん)という健康な肉体は、誰もが持てるものではない。しかし「現役」というステージがなければその体も、うなだれたままだったのではないか。福井さんは言う。「半世紀前の65歳より今の75歳の方が若い。でも、仕事や人とのつながりを失えば、病気でなくても死期を早めてしまう」。最晩年まで現場に立ち続けた日野原さん。その秘訣(ひけつ)は本人の努力と周囲のフォローで、社会との接点を維持し続けたことだったと思う。
私ごとになるが、日野原さんより21歳若い父は、2年前から要介護となった。遠方で暮らす私に用意できたのは、日野原さんのような「舞台」ではなく、介護施設のベッドだ。取材の区切りを迎えたいま、父のような高齢者にも「実践」のステージが一つでもあれば--と願う。
「車椅子で空飛ぶ我の意気盛ん」。日野原さんの句だ。「ステージを見つける方法を探して、皆さん実践してご覧なさい」とちゃめっ気たっぷりな笑顔で、日野原さんが見守っている気がする。