2016.12.28 : 阿部首相 真珠湾慰霊<和解発信>
旧日本軍による真珠湾攻撃から75年。安倍晋三首相が現職首相として初めて、真珠湾のアリゾナ記念館で戦没者を慰霊した。
首相は演説で、敵国から同盟国に変容した日米の「和解の力」を強調。「希望の同盟」となった日米で、寛容の大切さと和解の意義を世界に訴えていく決意を表明した。
ただ、中国、韓国との間には歴史認識を巡る問題が残っており、今回の訪問で全ての「戦後」が総括されたとは言い難いのが現実だ。
真珠湾での首相の演説の表題は「和解の力」だった。先の大戦への反省には踏み込まず、未来志向の姿勢を強調。和解の意義を説明するメッセージを世界に発信することが、日米が担うべき新しい役割と主張した。
旧日本軍の真珠湾攻撃に端を発した日米間の戦争は、米軍による広島、長崎への原爆投下の後、終局を迎えた。双方に多数の死者を出し、
憎しみ合った両国民は、戦後は協力を進め、開戦から75年を経て強固な同盟関係を築いた。両国の成功の経験を世界に訴え続けることこそが日米の「任務」との提案だ。
政府は今回の真珠湾訪問は「謝罪ではなく、慰霊のための訪問」(菅義偉官房長官)と繰り返し説明してきた。政府内には「謝罪を求める米国世論が全くないとは言い切れない」(外務省幹部)と一定の批判は覚悟していた。
だが、首相としては昨年4月の米議会演説で「戦後の日本は先の大戦に対する痛切な反省を胸に、歩みを刻んだ」と表明しており、戦後70年だった昨年のこの演説をもって「日米の戦後については一区切りが付いた」(首相周辺)という認識だった。
このため、今回は「戦後」を乗り越えた未来志向の演説を目指した。
首相は、日米の和解を可能としたのは、米国人の「寛容の心」と説明。戦後、食料や衣料物資を供給し、日本の復興を支援したのは米国だった。
真珠湾攻撃中に被弾、墜落死した戦闘機パイロット、飯田房太中佐の石碑が米国人の手で建てられたことにも言及し、米国人への配慮を示して首相の考えへの理解を求めた。
首相の真珠湾演説では、「和解」と「寛容」の言葉を表題も含めて7回ずつ使った。二つの言葉は、米議会演説や昨年8月の70年談話でも使っているが、1~2回の頻度で、
演説での多用ぶりは際立っている。一方で昨年の演説と談話で使った「痛切な反省」や「おわびの気持ち」といった表現は盛り込まなかった。こうしたキーワードを避けることで、
歴史認識については昨年中に総括が終わったとの思いをにじませる狙いがあったものとみられる。
真珠湾攻撃の翌日、当時のルーズベルト大統領は、攻撃のあった12月7日(日本時間8日)について「汚辱の日として長く記憶されるだろう」と訴えた。
戦時中は「リメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」が米国民のスローガンとなった。
演説を終えた後、首相はオバマ氏と歩きながら短時間、言葉を交わした。首相が「パールハーバーに『和解の力』という意味が加わるようになるといい」と語りかけると、オバマ氏は「そうなると思う」と応じた。
オバマ米大統領は真珠湾での演説で、「首相の演説は『和解の力』を示す歴史的な行為だ」と称賛し、かつて戦火を交えた日米両国が強固な同盟関係を築いたことを改めて指摘した。さらに、日米同盟はアジア太平洋だけでなく、
世界の発展に貢献してきたと強調。同時に、「内向きになることや、自分とは異なる人を悪者扱いすることに抵抗しなければならない」と語った。名指しはしなかったが、念頭にあるのは1月に就任するトランプ次期大統領だった。
「我々は歴史から教訓を学び、それをもとに将来を描くことはできる。和解の方が報復よりも多くの報酬をもたらす」。オバマ氏は約15分間にわたる演説の最終盤で「和解」の重要性を重ねて指摘した。
オバマ氏は、単独行動主義が目立ったブッシュ前政権から国際協調主義に大きくかじを切った。アフガニスタンとイラクでの「二つの戦争」の終結を目指す一方、同盟国や友好国との連携強化を積極的に推進。
かつて敵対国だったベトナムやキューバ、イランなどとは関係改善に取り組んだ。
トランプ氏はこうした「オバマ外交」を弱腰で世界を不安定にさせたと酷評。1980年代のレーガン大統領の外交・安全保障政策を手本に「力による平和」を主張している。
イラン核合意やキューバとの国交正常化など、オバマ氏の「レガシー」は破棄すると公言。「核兵器なき世界」を訴えたオバマ氏を否定するかのように、核戦力を強化し、拡大すると主張し始めた。
また、「米国第一主義」を掲げ、日本を含む同盟国に安全保障を巡る負担の増加を求め、貿易協定にとどまらない戦略性を持つ環太平洋パートナーシップ協定(TPP)も就任初日に離脱すると宣言している。
これらは、オバマ氏の目指してきた方向と大きく異なる。トランプ氏の外交・安全保障政策は「陣営内に多くの異なった影響力が働いており、どうなるか理解するのは極めて困難」(グリーン元国家安全保障会議アジア上級部長)とみられている。
オバマ氏は演説で「オタガイノタメニ」と日本語で呼び掛け、信頼し合うことの意義を強調。トランプ氏に日米同盟の重要性を強く印象づけようとした。
だが、トランプ氏が演説直前にツイッターに投稿したのは、11月の大統領選でオバマ氏が激戦州で十分に選挙運動をしたにもかかわらず、民主党のヒラリー・クリントン前国務長官が負け、自分が勝ったと誇示する内容だった。
オバマ氏のメッセージがトランプ氏に届いたかは不透明だ。
オバマ大統領、ハリス司令官、ご列席の皆さま、そして、すべての、アメリカ国民の皆さま。
パールハーバー、真珠湾に、いま私は、日本国総理大臣として立っています。
耳を澄ますと、寄せては返す、波の音が聞こえてきます。
降り注ぐ陽の、やわらかな光に照らされた、青い、静かな入り江。
私のうしろ、海の上の、白い、アリゾナ・メモリアル。
あの、慰霊の場を、オバマ大統領とともに訪れました。
そこは、私に、沈黙をうながす場所でした。
亡くなった、軍人たちの名が、しるされています。
祖国を守る崇高な任務のため、カリフォルニア、ミシガン、ニューヨーク、テキサス、さまざまな地から来て、乗り組んでいた兵士たちが、あの日、爆撃が戦艦アリゾナを二つに切り裂いたとき、紅蓮の炎の中で、死んでいった。
75年が経ったいまも、海底に横たわるアリゾナには、数知れぬ兵士たちが眠っています。
耳を澄まして心を研ぎ澄ますと、風と、波の音とともに、兵士たちの声が聞こえてきます。
あの日、日曜の朝の、明るく寛いだ、弾む会話の声。自分の未来を、そして夢を語り合う、若い兵士たちの声。最後の瞬間、愛する人の名を叫ぶ声。
生まれてくる子の、幸せを祈る声。
一人、ひとりの兵士に、その身を案じる母がいて、父がいた。
愛する妻や、恋人がいた。
成長を楽しみにしている、子どもたちがいたでしょう。
それら、すべての思いが断たれてしまった。
その厳粛な事実を思うとき、私は、言葉を失います。
その御霊よ、安らかなれー。
思いを込め、私は日本国民を代表して、兵士たちが眠る海に、花を投じました。
***
オバマ大統領、アメリカ国民の皆さん、世界の、さまざまな国の皆さま。
私は日本国総理大臣として、この地で命を落とした人々の御霊に、ここから始まった戦いが奪った、すべての勇者たちの命に、戦争の犠牲となった、数知れぬ、無辜の民の魂に、永劫の、哀悼の誠を捧げます。
戦争の惨禍は、二度と、繰り返してはならない。
私たちは、そう誓いました。
そして戦後、自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら、不戦の誓いを貫いてまいりました。
戦後70年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たち日本人は、静かな誇りを感じながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。
この場で、戦艦アリゾナに眠る兵士たちに、アメリカ国民の皆さまに、世界の人々に、固い、その決意を、日本国総理大臣として、表明いたします。
***
昨日、私は、カネオへの海兵隊基地に、一人の日本帝国海軍士官の碑(いしぶみ)を訪れました。
その人物とは、真珠湾攻撃中に被弾し、母艦に帰るのをあきらめ、引き返し、戦死した、戦闘機パイロット、飯田房太中佐です。
彼の墜落地点に碑を建てたのは、日本人ではありません。
攻撃を受けた側にいた、米軍の人々です。
死者の、勇気を称え、石碑を建ててくれた。
碑には、祖国のため命を捧げた軍人への敬意を込め、「日本帝国海軍大尉」と、当時の階級を刻んであります。
The brave respect the brave.
「勇者は、勇者を敬う」
アンブローズ・ビアスの、詩(うた)は言います。
戦い合った敵であっても、敬意を表する。
憎しみ合った敵であっても、理解しようとする。
そこにあるのは、アメリカ国民の、寛容の心です。
戦争が終わり、日本が、見渡す限りの焼け野原、貧しさのどん底の中で苦しんでいた時、食べるもの、着るものを惜しみなく送ってくれたのは、米国であり、アメリカ国民でありました。
皆さんが送ってくれたセーターで、ミルクで、日本人は、未来へと、命をつなぐことができました。
そして米国は、日本が、戦後再び、国際社会へと復帰する道を開いてくれた。
米国のリーダーシップの下、自由世界の一員として、私たちは、平和と繁栄を享受することができました。
敵として熾烈に戦った、私たち日本人に差しのべられた、こうした皆さんの善意と支援の手、その大いなる寛容の心は、祖父たち、母たちの胸に深く刻まれています。
私たちも、覚えています。
子や、孫たちも語り継ぎ、決して忘れることはないでしょう。
***
オバマ大統領とともに訪れた、ワシントンのリンカーン・メモリアル。
その壁に刻まれた言葉が、私の心に去来します。
「誰に対しても、悪意を抱かず、慈悲の心で向き合う」。
「永続する平和を、われわれすべてのあいだに打ち立て、大切に守る任務を、やりとげる」。
エイブラハム・リンカーン大統領の、言葉です。
私は日本国民を代表し、米国が、世界が、日本に示してくれた寛容に、改めて、ここに、心からの感謝を申し上げます。
***
あの「パールハーバー」から75年。
歴史に残る激しい戦争を戦った日本と米国は、歴史にまれな、深く、強く結ばれた同盟国となりました。
それは、いままでにもまして、世界を覆う幾多の困難に、ともに立ち向かう同盟です。
明日を拓く、「希望の同盟」です。
私たちを結びつけたものは、寛容の心がもたらした、the power of reconciliation、「和解の力」です。
私が、ここパールハーバーで、オバマ大統領とともに、世界の人々に対して訴えたいもの。
それは、この、和解の力です。
戦争の惨禍は、いまだに世界から消えない。
憎悪が憎悪を招く連鎖は、なくなろうとしない。
寛容の心、和解の力を、世界はいま、いまこそ、必要としています。
憎悪を消し去り、共通の価値のもと、友情と、信頼を育てた日米は、いま、いまこそ、寛容の大切さと、和解の力を、世界に向かって訴え続けていく、任務を帯びています。
日本と米国の同盟は、だからこそ「希望の同盟」なのです。
***
私たちを見守ってくれている入り江は、どこまでも静かです。パールハーバー。
真珠の輝きに満ちた、この美しい入り江こそ、寛容と、そして和解の象徴である。
私たち日本人の子どもたち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子どもたちが、またその子どもたち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれる事を私は願います。
そのための努力を、私たちはこれからも、惜しみなく続けていく。オバマ大統領とともに、ここに、固く、誓います。
ありがとうございました。
安倍総理、きょうの総理のご出席、そして心のこもった演説は、和解の力、そしてアメリカ国民と日本国民の同盟の強じんさを証明する歴史的なもので、アメリカ国民を代表して感謝申し上げます。
きょう、この日は、戦争による最も深い傷さえも、友情と平和の道につながるのだということを思い起こさせます。
ご列席の皆様、米軍関係者、そして、何より、真珠湾攻撃の生存者の方々、及びその大切なみなさまへ。アロハ!
アメリカ国民、特にハワイを故郷とする人たちにとって、この真珠湾は神聖な場所です。
未だ嘆き悲しむこの湾に献花するとき、私たちは、永遠の天国へと向かった2400人を超えるアメリカの愛国者たち、父や夫、妻や娘のことを思います。
毎年12月7日になると、いつもより少しだけ姿勢を正すオアフの守護者たちに、私たちは敬礼をし、ここで75年前に示された勇姿に思いをはせるのです。
12月のその日、夜が明けると、楽園はこれまでにないほど魅力的でした。
真珠湾の水は温かく、現実と思えないほど青く澄み切っていました。
水兵たちは食堂で食事をしたり、教会に行く準備をしたり、こぎれいな白いズボンとTシャツで身支度をしたりしていました。
湾には、艦船が整然と停泊していました。カリフォルニア号、メリーランド号、オクラホマ号、テネシー号、ウエストバージニア号、ネバダ号。そして、アリゾナ号の甲板では、海軍の音楽隊が演奏の準備をしていました。
その朝、兵士たちは、肩に記された階級を超えて、それぞれの胸に宿る勇気を示しました。彼らはこの島のあらゆる場所で、訓練弾や古いライフル銃までをも使って、あらゆる手を尽くして防衛に当たりました。
あるアフリカ系アメリカ人の食堂の給仕係は、ふだんであれば清掃の役割しか与えられていませんでした。しかし、この日、司令官を安全な場所に連れて行き、そして弾薬がなくなるまで対空砲を撃ち続けたのです。
私たちは、ウエストバージニア号の1級砲撃手であったジム・ダウニングのようなアメリカ人を誇りに思います。真珠湾に駆けつける前、彼の新妻は彼の手に聖書の言葉の一節を握らせました。「永遠なる神はなんじの拠り所、その永遠なる胸に抱かれて」というものです。
ジムは戦艦を守るために戦い、同時に、倒れた人たちの名前を記録しました。
家族にその事実を伝えることができるようにするためです。彼は、「人がする当然のことだ」と言いました。
私たちはハリー・パンのようなアメリカ人を記憶しています。彼はホノルル出身の消防士で、荒れ狂う火を前に、最後まで献身的に、燃える戦闘機の消火に取り組みました。彼は戦傷したアメリカの軍人に授与される「パープルハート」勲章を、民間人の消防士として受賞しました。
私たちは、2時間以上にわたって、50口径のマシンガンを撃ち続け、20回以上も負傷し、最高位の軍人の勲章、名誉勲章を受章したジョン・フリン上等兵曹のようなアメリカ人に敬意を表します。
私たちは、戦争がいかに私たちの恒久的な価値観を試すのかということをじっくり考えなければなりません。日系アメリカ人でさえ、戦争中、自由を奪われたのかということを。
アメリカ史上、最も勲章を受けた部隊は、日系アメリカ人2世による部隊、442連隊と第100歩兵大隊だったことを。
442連隊には、私の友人であり、ハワイ人としての誇りをもつ、ダニエル・イノウエさんがいました。私が生まれてからのほとんどの間、ハワイ選出の上院議員を務め、ともに上院議員を務めたことを誇らしく思います 。
彼は、名誉勲章や一般市民としては最高位となる「自由勲章」の受章者というだけでなく、その時代の最もすぐれた政治家でもありました。
ここ真珠湾での、第2次世界大戦のアメリカの最初の戦いが、国民を目覚めさせました。ここで、多くの点で、アメリカは成熟しました。私の祖父母を含む多くの世代のアメリカ人は、戦争を求めませんでした。しかし、戦争に背を向けることをせず、それぞれの持ち場で役割を果たしました。
そして75年後、真珠湾攻撃の生存者は、時間の経過とともに少なくなっています。この場で私たちが思い出す勇者は、私たち国民の心に永遠に刻まれています。
真珠湾と第2次世界大戦の退役軍人のみなさん、可能な方は、立ち上がるか、手を上げてください。みなさんの功績に感謝しています。
国の本質は、戦争において試されますが、平時において定義されます。
先の大戦は、数万ではなく、数千万の命が失われた人類史上、最も恐ろしい出来事の1つです。大平洋で展開された悲惨な戦闘が終わり、アメリカと日本は友情と平和を選びました。過去、数十年にわたり、私たちの同盟は、両国をより繁栄させました。
同盟は、国際秩序を構築し、それによって新たな世界大戦を防ぎ、多くの人々を極度の貧困から救うことができました。
今日、アメリカと日本の同盟は、共通の国益のみならず、共通の価値に基づいて結ばれ、アジア太平洋の平和と安定の礎となっており、世界が前進していく力となっています。
私たちの同盟は、いまだかつてないほど強固なものになりました。よい時も悪い時も、私たちはお互いを支え合ってきました。5年前を思い出してください。津波が日本を襲い、東京電力福島第一原子力発電所が「炉心溶融」、いわゆるメルトダウンとなったとき、アメリカ軍は、われわれの日本の友人を助けました。
そして、アメリカと日本は、アジア太平洋地域と世界における安全保障を強化するために協力しています。海賊を後退させ、疾病と戦い、核兵器の拡散を遅らせ、戦争で荒廃した土地での平和を維持しています。
ことし、真珠湾の近くでは、世界最大の海上軍事演習が行われ、日本の自衛隊は世界の20余りの国とともに参加しました。この演習には、アメリカ海軍の軍人を父に、日本人を母に持つハリー・ハリス司令官が率いるアメリカ大平洋艦隊も参加しました。ハリー司令官は横須賀で生まれましたが、彼のテネシーなまりから、それはわからないでしょう。ハリー司令官、あなたの卓越したリーダーシップに感謝します。
そのような意味で、私たちがここにいるのは、それは政府と政府の関係からだけでなく、両国の国民による絆があるからです。安倍総理がここにいることは、国と国、そして人と人との間に何が可能であるかということを気づかせてくれます。戦争は終わらせることができます。最も激しく対立した敵どうしは、最も強い同盟関係を築くこともできます。平和という果実は、戦争による略奪をはるかに上回るものです。これが神聖な真珠湾のゆるぎない真実です。
憎しみの炎が最も強く燃えさかる時も、部族間の争いがあるときも、私たちは内向きになってはいけないということを、この場所は思い起こさせます。自分たちとは異なる人々を、悪者扱いする衝動に抗わなければならなりません。ここでの犠牲や戦争に対する怒りは、われわれの中にある、神聖な輝きを探すことを思い出させてくれます。
これは、日本の友人の言葉を借りれば「オタガイノタメニ」、つまり「相手とともにあって、相手のために尽くす」よう努力することを求めています。これは、ミズーリ号のウィリアム・キャラハン船長による教訓です。彼は、彼の船が攻撃を受けた後も、日本人パイロットの遺体を、アメリカ人の水兵が縫製した日本の国旗で覆い、軍葬儀の礼を行うよう指示しました。
そして今度は、何年もあと、真珠湾を再訪した日本人パイロットによる教訓です。彼は、アメリカ海軍のラッパ手と友人となり、軍葬の際に流される曲を演奏してもらうように依頼し、毎月、記念館に、アメリカの犠牲者と日本の犠牲者にそれぞれ1本ずつのバラの花を飾ることになりました。
この教訓は、東京で勉強しているアメリカ人であろうと、全米で勉強している日本の若者であろうと、がんの解明に取り組んだり気候変動と闘ったり、星を探査したりしている日米の科学者であろうと、日々の生活の中で、最も平凡な方法で学ぶことができることを示しています。また、野球のイチロー選手のように、マイアミのスタジアムを明るくし、アメリカ人と日本人が共有する誇りによって元気づけられいます。アメリカ人と日本人は平和と友情で結ばれています。
国として、そして人として、われわれは、私たちが引き継ぐ歴史を選ぶことはできません。しかし、そこからどのような教訓を学び、どのように私たちの未来を描くかということは選ぶことができます。
安倍総理、私は友情の精神に基づき、日本人の人々がいつも私を歓迎してくれたのと同様に、あなたをここに歓迎します。私たちはともに、戦争よりも平和によって多くのことを勝ち得ることができ、報復よりも和解がより多くの報償をもたらすというメッセージを、世界に対して送ることができることを期待します。
この静かな港で、私たちは亡くなられた方々に対して敬意を表し、日米両国が友人として勝ち得たすべてことに対して感謝します。
神が戦没者をとこしえの胸に抱え、退役軍人を見守り、皆が私たちのために番をしてくださいますように。私たちに神の御恵みを。ありがとうございます。