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2017.6.22 : オスカー フィッシンガー 生誕117周年

「オスカー・フィッシンガー」さんって?

ドイツ出身の映像作家です。
「抽象映像芸術」や「ビジュアル・ミュージック」の先駆者、とも言われています。
「1900年6月22日」に生まれて、「1967年1月31日」に逝去されています。
そのため、生誕117周年となります。
1920年頃、映画批評家「ベルンハルト・ディーボルト」に出会い、「ヴァルター・ルットマン」の作品を紹介されます。
「ヴァルター・ルットマン」は、グラフィックデザイナー出身の映画監督であり、映画表現の新しい形態を模索していました。
美術と音楽の抽象的な作品を発表し、実験映画の実践家でした。
「ルットマン」の作品をみて、感銘を受け、ミュンヘンに移り、映像作家としてのしての活動を開始します。
抽象映画の実験を可能にする撮影機器を発明し、映像作家として活動を始め、色々と映像芸術を製作していましたが、資金に行き詰まります。
そんな中、自分の作った撮影機器が、同じくドイツの女性影絵アニメーション作家「ロッテ・ライニガー」さんのアニメ映画「アクメッド王子」に利用されるという事件も起こってしまいます。
これは、無断使用ではなく、合法的に販売された機器の使用でしたが、自分の機器が先に他人の作品で注目されたことが彼を落胆させたようです。
失意の中、彼は、ベルリンへ拠点を移します。
そして、1934年、「ムラッティ(Muratti)社」のタバコのCMに作品(Muratti Greift Ein)が利用され、一躍有名になりました。
さらに、1935年には「Komposition in Blau」という作品で、ベニス映画祭でグランプリも受賞しています。
資金的にも余裕のでてきた彼は、精力的に作品を製作しますが、その頃、ドイツではナチスが台頭してきていました。
ナチスは抽象的な芸術を「退廃芸術」とし、弾圧を加えるようになりました。
そのため、1936年にアメリカへ亡命。
活動拠点をハリウッドに移します。
ハリウッドでも精力的に作品を製作しました。
その中で、オーケストラ音楽を使ったディズニーの映像作品「ファンタジア」にも短期的に製作参加しています。
結果的に、この作品は、抽象的な表現映画ではなく、大衆が受け入れやすい、より具体的な表現に変更されたため、途中で製作を離れています。
ハリウッドでは、視覚と音楽による芸術表現をテーマに、数多くの作品を発表しました。
1947年に最後の作品「モーション・ペインティング No.1」を発表。
その後は、体調面や、資金的な問題から映像研究を断念。
晩年は絵画に専念し、70ほどの作品を残しました。
大衆に受け入れられがたい抽象的な作品が多く、ベニス映画祭でグランプリを受賞しながらも、当時は、一般的にはあまり評価されていませんでした。
彼の作品は、近年になり評価されてきています。


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